「何者かになる」ということ

 子供を産むと女性は「お母さん」になります。昨日までの自分に「母親」という役割と周囲の見方が加わります。そうすると「子供を愛し、思いやり、どんな時でも守り、揺るがない頼りある母性ある存在」であることを「暗に」期待されているようなプレッシャーを感じるようです。昨日までと今日の自分はほとんど変わらないのに、、、

 一緒にするなと言われてしまうかもしれませんが、「心理士」だって別に資格を取ったから、中身がすぐに心理士にはなれません。

 心理士が「心の専門家」と呼ばれていたり、心理士自身がそう言っていると、ものすごい違和感を覚えていた時期がありました。「心は一人一人違うのに、専門家ってどういうことだ?と、専門家なんかになれるわけがない」と、、、。しかし何年か、クライエントとの間で色々な体験をしているうちに、確かに人は違えど、心にはあるパターン化した動きがあるということ、とはいえ、それぞれ人の心を見守るには、自分の好み、価値観を棚上げした、忍耐と関心が必要だと言うことを痛感するようになってきました。これが心の専門家ということなのでしょうか?それはともかく、年月と体験を通して、段々心理士になっていくんでしょうね。そして、それには終わりも完成もない、焦ってもしょうがない、、、

猫の鳴き声から

 猫の鳴き声って色々ですよね「うわおーん」と不満気に鳴く時は3番目の「おー」と引っ張るような音が、お腹の底から湧き出ているような凄みがあり「ああ、ああ、ご不満なんだわ」とすぐにわかります。また「にゃーにゃー」とまるで赤ちゃんのようなに、いやいや赤ちゃんの声に甘さを足したような甘い声で鳴かれると、糖尿病を警戒して食べさせないでいた、大好きなスープをホイホイとあげてしまい「しまった!」と反省し、人をこうやって動かす猫とは実に侮れない生き物だと思ったりましす。語調や声音って言葉以上に真実を伝えますね

 「私が悪いんです。すみません」と謝られても「なんだか責められてる?」って感じることってありませんか、それは相手の微妙な語調から「(どうせ)私が悪い(と思っているんでしょ)すみません(でしたね)」って聞こえてくるからですね、これを言葉通りに受け取って、「謝っている」と捉えて反応すると、相手がますます逆上!何てこともありますね、コミュニケーションって難しい。