普通って何?

人ってあまり意識しないで、「普通は」とか「一般的に」とか「みんな」とかいう言葉を使って話していますよね。そういう言葉で話すことによって、自分の話していることが何か正しいような、他の人と考えを共有しているような、裏付けがあるような安心感が持てるからでしょうか?

昔、心理療法のトレーニングを受けていたときに「みんなそうですよね」というようなことうっかり言うと、すかさず指導者から「みんなって誰?」って突っ込まれました。そして「世の中にはバラバラな別々な人間がいるだけなんだよ」って幾度となく訂正されたことを思い出します。それを言われ続けているうちに、それ自体が心理療法的な効果を発揮し、どことなく自分が物事を前よりは自由に見れるようになっていった実感があります。

そうです、心理療法はこのように「固まっている考えや認識」を解きほぐす、組み立て直す作業でもあります。

相談に来る方の中には「人の輪に入れない」と話される方もいます。それは生活している中で、いろいろなことを共有して仲良くしている人の集団から、疎外されていると悩まれている方の体験です。

でも「その輪」の中の人は、私の指導者的に言えば「一人一人バラバラで、考えも感じ方も違う」と考えると、現実にはそんな「輪」は存在していないし、「輪」という考えで遠ざけられていた人々の中に、自分と同じ感じ方の人がいるかもしれないと希望を持つことに繋がっていくと思いませんか?

人を塊にして、同質にする見方って、安心という錯覚も生み出すけど、自分を縛ったり、苦しめたりすることにも繋がっているようです。

セミナー開催のお知らせ

2026年になりました。オフィスは通常通りに開室しています。

秘密が守れた中で、安心してご自分のことを話したり、考えたりしたい方や、友達や家族も話は聞いてくれるけど、相手に気を遣って自由に考えられない方などが、静かにご自分と向き合うための空間を提供しています。

お知らせ:

精神分析家の北村麻紀子さんと一緒に、2026年4月29日に事例検討会を開催することになりました。精神分析的な臨床を考えてみたい方、ご参加をお待ちしています。

年賀状

今年は年賀状が何時もの年より少なかったなって感じです。郵便代金の値上げの影響でしょうか?また、いただいた何人かからは「年賀状収め」の連絡もあり、来年はもっと減るのでしょう。

年の瀬の忙しい時に年賀状書きは大変で、その時はやめてしまいたいと思ったりもするのですが、なかなかその決断もつかず・・・・・・

年賀状をもらうと何だか嬉しいのは私だけでしょうか?普段会うこともないし、これからも会わないかもしれない人、メールのアドレスもわからない人、年賀状で年に一回思い出すような人、そういう人は、自分の過去の時間とともに通り過ぎ、そのまま思い出す必要もないのかもしれません。でも、どこかそれでは寂しいような。その懐かしい名前とともに、そのころの空気感、その時間を共にした人とともに、自分も思い出す。なんだか切ないような瞬間を年に1回運んでくる、それが年賀状だよなーと今年はしみじみと感慨にふけりました。そして、今年の暮れもきっと年賀状を書いるのだろうな・・・・私は。

秋の散歩

青山一丁目から外苑前まで歩いてみました。

丁度外苑の銀杏並木が見頃です。

人は季節を感じたいのでしょうね、、、沢山の人が銀杏を見に集っていました。

青い空に、黄色の銀杏、春の桜とは違う、なんとも言えない趣、あの懐かしい匂いも、、

コンビニの唐揚げも半額になっていて、頬張りながら銀杏を見ている家族など、色々な人の時間を見ながら歩きました。

年末年始のオフィスの開室について

年末は 2025年12月27日(土)まで開室しております。
(2025年12月28日(日)〜2026年1月4日(日)の間はお休みいたします)
年始は 2026年1月5日(月)より開室いたします。

ご予約は随時受け付けています。ご希望の方は申し込みのアドレスまでご連絡ください。

「何者かになる」ということ

 子供を産むと女性は「お母さん」になります。昨日までの自分に「母親」という役割と周囲の見方が加わります。そうすると「子供を愛し、思いやり、どんな時でも守り、揺るがない頼りある母性ある存在」であることを「暗に」期待されているようなプレッシャーを感じるようです。昨日までと今日の自分はほとんど変わらないのに、、、

 一緒にするなと言われてしまうかもしれませんが、「心理士」だって別に資格を取ったから、中身がすぐに心理士にはなれません。

 心理士が「心の専門家」と呼ばれていたり、心理士自身がそう言っていると、ものすごい違和感を覚えていた時期がありました。「心は一人一人違うのに、専門家ってどういうことだ?と、専門家なんかになれるわけがない」と、、、。しかし何年か、クライエントとの間で色々な体験をしているうちに、確かに人は違えど、心にはあるパターン化した動きがあるということ、とはいえ、それぞれ人の心を見守るには、自分の好み、価値観を棚上げした、忍耐と関心が必要だと言うことを痛感するようになってきました。これが心の専門家ということなのでしょうか?それはともかく、年月と体験を通して、段々心理士になっていくんでしょうね。そして、それには終わりも完成もない、焦ってもしょうがない、、、

猫の鳴き声から

 猫の鳴き声って色々ですよね「うわおーん」と不満気に鳴く時は3番目の「おー」と引っ張るような音が、お腹の底から湧き出ているような凄みがあり「ああ、ああ、ご不満なんだわ」とすぐにわかります。また「にゃーにゃー」とまるで赤ちゃんのようなに、いやいや赤ちゃんの声に甘さを足したような甘い声で鳴かれると、糖尿病を警戒して食べさせないでいた、大好きなスープをホイホイとあげてしまい「しまった!」と反省し、人をこうやって動かす猫とは実に侮れない生き物だと思ったりましす。語調や声音って言葉以上に真実を伝えますね

 「私が悪いんです。すみません」と謝られても「なんだか責められてる?」って感じることってありませんか、それは相手の微妙な語調から「(どうせ)私が悪い(と思っているんでしょ)すみません(でしたね)」って聞こえてくるからですね、これを言葉通りに受け取って、「謝っている」と捉えて反応すると、相手がますます逆上!何てこともありますね、コミュニケーションって難しい。